あしたのみんか

嵐の日に
それから営業のこと

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2019.10.12
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コラム

<営業について>

10/12(土)はお休みをいただきます。

10/13(日)は営業する予定でいますが様子を見させていただきご予約のお客さまへ個別にご連絡させていただきます。

10/14(月)は営業します。「山辺のO’keeffe」も開催の予定です。改めてご報告させていただきます。

 

 

未だかつてない大きさの台風に、きっと皆さんも不安な気持ちでいらっしゃると思います。

衛星画像を見るたび、ニュースを見るたびに私も恐怖を感じずにはいられません。

久しぶりにテレビを見ましたが、改めてテレビの情報量とはすごいなと思いました。

お一人でお住まいのお客さまもおり、ひとり不安な気持ちでお過ごしではないかと心配しています。

どうか被害が大きくならず、お怪我などなく皆さんご無事でありますように。

「あんなに心配して杞憂だったね」と、髪を切りながら笑ってお話できますように。

 

 

眠れそうにもないのでMacを開き書きはじめました。

度々呟いているように、私は言葉を伝えることが得意ではありません。

しつこいようですがいつもものすごく長い時間をかけて一つの記事を書いています。

最近に至っては「私は手で表現することが仕事だからさ。」なんて開き直っています。

でも今日は書いてみようと思います。

こんな時間に紅茶と栗蒸羊羹も準備しました。

ただ今、10/11の23:00、ではスタートします。

1日で記事を仕上げるのは、初めてのことです。

 

先日とある方のお話を聴きました。

お話の全部が今も心に残っていて、その中にこんな言葉があったのです。

『人は人それぞれの幸せを享受するために生きている』

あ、と思いました。

私にとっては近頃考えていた様々を一まとめにしたような言葉でした。

(幸せについて考えていたわけではありません笑)

「人それぞれの幸せ」つまり、自分の幸せと他人の幸せは違うという事でした。

自分の思う幸せが他人にとっても幸せとは限らないのです。

そしてそれはつまり、幸せだと世に定義されてされているものが、必ずしも自分にとっての幸せと一致していなくても良いのだということでもあります。

幸せの価値観は人それぞれで自分なりの幸せで良いのです。

当たり前だと思うでしょうか。

しかし様々を考えてみれば、あらゆる問題や諍い、悩みや不安の素には、「それぞれでいい」という自分や他者への肯定ができないということに原因の一端があるのではと思えてならないのです。

価値観、道徳観、正解不正解、時には善悪さえも。

これまで定義され、こうあるべきとされてきたセオリーは日本らしい慎ましさと秩序だった世をもたらした一方で、ある意味個人の創造性や多様性を排除しかねないのではないかという危惧さえ覚えてしまいます。

セオリーから外れてしまう自分に生きにくさを感じている人が少なからずいるのではないかと思います。

みんなそれぞれでいいんだ、違ってていいんだと思いながら、私自身も長年刷り込まれてきたセオリーと情報というカゴの中でバタつきもがいている一人のような気がするのです。

 

あしたがそれぞれに幸せで自由なものであるように、個々の体験、体感、実感を元に「それぞれの幸せのかたち」を見出し、多様性を認め合える社会になっていけたら、そのために自分には何ができるのだろうと深く考えます。

美容師としても、一人の人間としても。

時間をかけ向き合っていきたいと思います。

 

皆さんの幸せとはなんですか?

 

 

ではどうぞ皆さん、今日一日くれぐれもお気をつけてお過ごしくださいね。

何かあればいつでも連絡をください。

今、10/12の4:15です。

 

 

ps.

で、仮眠を経てさらに今加筆修正10:20 です。

やっぱり一晩では書けませんでした。笑