春
農園の片隅には、ひっそりと寄り添い合うように2本の梅の木が並んでいます。
私にとってこの梅の開花は、この場所に確かに春が来たことを告げる合図のような存在です。
2010年の春、再びこの地域で暮らすようになって8回目の春を迎えました。
ずっと、心の中にどんよりと立ち込める霧を拭うことができずにいました。
東京で働いたことに一体何の意味があったのだろうか。
手の中は空っぽで、もはや何も持ち得ていないような気がしていました。
逃げ帰ったという事実に、恥ずかしささえ感じていました。
今、私は思う。
遠回りでも、迷い道でも、道草でも、これまでの歩みに、無駄なことは1つもなかった。
その道程があったからこそ、今がある。
立ち込める霧は、一歩ずつ一歩ずつ前へ進むことで必ず抜け出すことができる。
道中を照らしてくれるような出会いが必ず訪れる。
いつかこんな私の経験が、何かに迷い、一歩を踏み出せずにいる誰かの役に立てたら嬉しいなと思う。
「あしたのみんか」に春がきました。