あしたのみんか

おじいちゃんの日記

note date
2017.12.30
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民家日記『きのうのみんか』

まるで歯磨きのように当たり前に、夜床に就く前に日記を書いていた亡き祖父の姿を今でも鮮明に思い出します。

いつから書き始めたのだろう、それは晩年利き手側が半身不随になり、字を書くのが困難になっても続いていました。

達筆すぎてなんて書いてあるか分からなかったし、子供ながらにもあまり他人の日記を読んではいけないような気がしていたから、私が当時祖父の日記を開くことはありませんでした。

だいぶ大人になった今、私は祖父に再会するような気持ちでこの日記を読むようになりました。

日記の中の祖父は、私が思っていたよりずっと繊細で豊かで寂しがり屋でした。

スケッチが上手で、健康オタクで、時々俳句を詠む人でした。

気に入った新聞記事は切り抜いて貼って、そこにコメントを入れたりする人でした。

戦時中の経験や戦争が遺したものとずっと向き合い続け、苦しみ自問し続けている人でした。

いずれも日記がなかったら知ることのできなかった祖父の姿です。

だいぶ大人になった今、私はまた違った心持ちで祖父を想うようになりました。

「自分の置かれた環境の中で、できる事を精一杯やる。」

事業をやると決心しきれなかった時、最後に背中を押してくれたのは祖父の日記から受け取ったそんなメッセージでした。

 

ある時代、私たちと同世代の若者たちは自分の生き方の選択をすることができなかった。

人生の局面に在った時、最後の望みは大切な人たちを守ることだった。

私たちは今、選択することができる。

ならば何を選択し、どう生きていくのだろう。